EMIT-Japan WebCT レター

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CIO's Metric - 大学における情報基盤エグゼクティブのための座標軸 -

No.1 「個別対応から基盤対応へ」

私事で恐縮ですが,名古屋大学情報連携基盤センター情報基盤システムデザイ ン研究部門助教授に着任して早2年が過ぎました.

「技術は役に立ってなんぼのもの」という信念のもと,名古屋大学ポータル, 全学ID,全学メール,ホスティングサービス,ハウジングサービス,全学無線 LAN,学生証・教職員証のICカード化などなど,いろいろな新しい取り組みを 行ったり,行おうとしてきました.また,情報セキュリティ対策推進室をはじ め,名古屋大学ポータル編集局など,技術を支える組織づくりにもエネルギー を投入してきました.

このようにいろいろ挙げると,何か一貫性がないように思われるかも知れませ んが,実はこれらの底流には,「個別対応から基盤対応へ」という思想が流れ ています.

例えば,昔は計算機1台ごとにユーザを登録していた時代がありましたが,そ れが,ネットワークで多くのコンピュータがつながるようになるにつれて, NIS のような,研究室などの小グループ内でのユーザ情報の共有の仕組みが生 まれました.今では,LDAP (Light-weight Directory Access Protocol) や Kerberos などのディレクトリサーバのように,大規模なグループ内でのユー ザ情報の共有がトレンドになっていまして,全学ID はまさにこれを狙ったも のです.

また,セキュリティに関しても,メーラレベルでの暗号化送受信のように個々 のアプリケーションによる対応から,SSL (Secure Socket Layer) が出てきて より低レベルのレイヤーで共通的に対応するのが当たり前になってきました. 現在,名古屋大学では,アプリケーションあるいは利用者環境に応じたセキュ リティレベルの確保や暗号化が可能な高度なセキュリティ環境を基盤システム として導入することを検討しています.

さらに,名古屋大学ポータル(http://mynu.jp/)では,ユーザ認証,暗号化通 信,セキュリティ確保,PCベースのWeb ブラウザだけでなく,携帯電話やPDA などでも閲覧可能なマルチプレゼンテーション機能などが基盤機能として提供 されますので,個々のWebアプリケーションが対応する必要がなくなります.

このような個別対応から基盤対応により,ある特定の方々にしか恩恵のなかっ た技術が,より多くの方が使われる「役に立つ」技術へ育っていきます.

各大学における WebCT のようなコース管理システム(Course Management System, CMS) の導入もまったく同じ過程をたどります.

すなわち,初期の段階では,それぞれの教員あるいは学科・学部が独自の判断 で何らかの e-Learning プラットフォームを導入するため,気がつくと学内に おいて「雨後の荀(うごのたけのこ)」状態になってしまうわけです.しかも, それぞれがイメージする「e-Learning」があいまいなため,自学自習を目的と するものから遠隔教育を目的とするものまでさまざまなニーズに基づいて,そ れぞれ勝手にシステムを導入するわけです.

しかしながら,大学教育の基本は,Face-to-Face を基本とした講義やセミナー, 実験などの通常のオンキャンパスでの教育ですので,講義などのひとまとまり の教育の流れ(すなわち,コース)において「いかにITを活用してコースを運 営し,教育効果を高めるか」という視点が,大学における e-Learning を推進 すればするほど,重要になってきます.

また,利用者が増えれば増えるほど,システム運用や教員への支援サービスを 提供するためのコストが膨らんでくるため、小規模な組織では対応しきれなく なり、結局、全学レベルで何らかの統一的な対応をとる必要が出てきます。

これらの結果,「雨後の筍」状態だった e-Learning プラットフォームは最終 的に1つのシステムに収斂していきます.

このような流れで,「より多くの方々に使われる役立つ技術」として発展して きたシステムが「コース管理システム」であり,北米においても WebCT は常 にそのリーダーでありましたし,現在もそうです.

国立大学は法人化されました.しかも,今後,運営交付金に対して効率化計数 を掛け,毎年配分額が少しずつ減らされていきます.これを乗り切る妙案も 「個別対応から基盤対応へ」という思考パタンからしか生まれないのではない かと個人的には思っています.

(梶田将司、株式会社エミットジャパン代表取締役・名古屋大学情報連携基盤センター助教授)

(2004年 6月)